ありがとう通信

社長の話 第4弾

ありがとう通信 2021年4月16日

いつも、みなさまにはお世話になり本当にありがとうございます。

そして、この“ありがとう通信”も毎月お読み下さり感謝申し上げます。

さて、今の世の中をみますと、あいかわらず新型コロナウイルスのニュースが毎日流れ

いい加減うんざりのところがありますが、前を向いて日々頑張っていきたいと思っています。

お陰様でホリモクは元気いっぱいで過ごさせて頂いており感謝いっぱいです。

何より健康で仕事をさせて頂けることが幸せです。

そこで今月号では『幸と不幸の構造』について勉強したことを書かせて頂きます。

それは「幸と不幸は“たまご”構造。それでもゆで卵ではなく、生卵‼」というものです。

たとえば「おいしい」という概念の前の段階として必ず「空腹」という概念が存在しています。

「空腹」という現象が存在しなければ「おいしい」という現象は存在しません。

同様に「のどがかわいた」という現象がなければ「のどの渇きが潤せた。うれしい」という現象も存在しません。

さらに思う事は「空腹であればあるほど」おいしさは増加する。逆に空腹の度合いが小さいものであればおいしさも小さい。

明らかにその大小は連動していると思います。

夏暑ければ暑いほど、秋の涼しさが“幸せ”。冬寒ければ寒いほど春の暖かさが”幸せ”。夏と秋がワンセット

冬と春がワンセットになっている・・・。

また、何かのスポーツをやっていて、足をねん挫したとします。当然走れないし、歩くにも困難が伴います。

一週間したら、痛みが消え普通に歩け走ることもできるようになったとします。

その時は、足が普通に機能していること、普通の生活ができることが嬉しい気持ちになります。

ねんざをする前とねん挫が治った後と、日常生活は特に変わりません。が、ただ大きく違うのは

自由に動かなくなった足が、動くようになったことで「足が自由に動くこと、普通に生活できること」に感謝することが出来るようになったという点だと思います。

生まれて以来、何の問題もなかった人が手も足も自由に動くことに感謝しろと言われても本当に“感謝”することは難しいと思います。

けれども「自由にならない」ことをあじわったあとなら「手足が自由に動く」「日常生活が普通におくれる」ことの喜びや悲しみをかみしめることができるのです。

その場合、不幸と思っていたねん挫は、普通に生活できる幸せの前半分の現象であったということです。

ケガや病気の不幸は、幸せの前半分であり、苦痛や大変さが大きいほど、元気になった時の喜びや幸せが大きいという因果関係に気が付くと

けがや病気を恨んだり呪ったりすることが少なくなるということです。

一般的な”不幸”が”幸”の前半分であるという構造は”たまご”の構造に似ています。”幸”は一般的に”不幸”と思われることが

通り過ぎたところにしか存在しない。

「空腹」がたまごの白身「おいしさ」がたまごの黄身です。

「空腹(白身)の中においしさ(黄身)が抱かれている。

しかし、この「たまご構造」は「生卵」でなければなりません。

生たまごは割って器に入れた時は白身と黄身が分離していますが、シャカシャカとかき混ぜてしまうと

みごとに溶け合ってしまいます。一度かき混ぜたらそれを白身と黄身に分けることはできません。なぜなら白身も黄身も

本質は同じものだからです。

一方、ゆで卵は白身は白身、黄身は黄身で分離し独立しています。

ですから”幸”と”不幸”はたまご構造。しかもゆで卵ではなく、生卵ということになります。

今回たまご構造というものを書かせて頂きました。

このことを日々取り入れて頑張っていきたいと思っています。

 

P.S だいぶん暖かくなってきましたが、皆様におかれましてはお身体を大事におすごしくださいませ。