いつも皆様には大変お世話になりまして、本当に感謝いたしております。
このありがとう通信も毎月お読みくださり、心よりお礼申し上げます。
さて、今月号では『世の中は不公平』を書かせていただきます。
書かせていただく前に、少し触れたい事があります。
結構前に書かせていただいた、「構成要素」についてです。
幸せが続く人と不幸が続く人の違い。
そして、どうすれば不幸な人が幸せになるのか!?
大事なことにすべての物には「構成要素」があります。
つまり、幸せな人にはその幸せを構成する要素、
不幸が続く人にはその不幸をつくり出している構成要素があるみたいなのです。
たとえば、目の前に1本の缶コーヒーがあったとすると、
その缶コーヒーから「缶」を取ったら持ち運べないし、飲めなくなります。
1本の缶コーヒーの原材料は、大まかに言うと、缶、コーヒー、水、ミルク、砂糖でできています。
そのうちどれか一つでも欠けちゃうと、その缶コーヒーになりません。
1台の車でも、たくさんのパーツでできているけど、
エンジンでもガソリンでもハンドルでもどれか1個でも欠けちゃうと、車としての機能を果たしません。
タイヤ1個でも外すと、それはただの鉄くずになってしまいます。
それと同じで、不幸が続く人は、「不幸が続く構成要素」を持っています。
その不幸を構成する要素の中でどれか1つでも変えれば、その不幸は成立しなくなるという事です。
さて、『世の中は不公平』に戻ります。
世の中には、自分の思い通りにいかない事がたくさんあります。
たとえば自分が間違っていたために失敗したなら納得もします。
でも、生まれながらに貧乏だとか、身体が弱いとか、自分自身では決められないことが原因で不幸な場合があります。
人によっては、それを「不公平」と考える人もいると思います。
でも、世の中には不公平という魂の修行があるみたいです。
例えば、「兄貴は可愛がられてるのに、自分は可愛がられなくて損だ」じゃなくて、
自分は、可愛がられなくても生きられるんだって思えばいいのです。
兄貴は、可愛がられなきゃ生きられない人と思えばいいのです。
さらに言えば、親は可愛がらなかった方に世話になって死んでいくって本で読んだ事があります。
幸せとは「可愛がられる」ことではなくて、「面倒を見ることができること」みたいです。
面倒をみられている人とみている人では、全然違います。
幸せの観念が違うし、最初に書かせていただいた、構成要素も全然違うみたいです。
自分が可愛がられなかったとしたら、可愛がられなくても生きていける人なんです。
だから親も自分が面倒みなきゃいけないから、働くんだって言った時、人生が変わります。
つまり、可愛がられない人はせっせと働く。
そこが大きいんですよね。
今回は「世の中は不公平」という事があった場合、私(社長)は幸せや、自分の人間力を高めるために
自分の中の構成要素のどこを変えたら良いのかをこれからも考えていきたいと思っています。










